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盛岡支部精舎 この世とあの世の真実を知る1。スピリチァル幸福セミナー約36分

 ←追記してます!サプライズ!映画 「仏陀再誕」悟りにチャレンジの ウ・ソンミン  →映画「仏陀再誕」の一般の方のお喋りの小耳に挟んだお話です。
2009携帯2 198
盛岡支部精舎 この世とあの世の真実を知る1。スピリチァル幸福セミナー36分

こんにちわ岩手は19年ぶり1990年7月に大きな講演会やりました。
19年たちました。
お子様方見ましたがみんな生まれてなかった。19年たちましたが、
伝道がすすんでいない、明日は青森滅多に行けないところを
つぶしていく。頭の切り替えは非常に難しいですが最近の著書での
霊的世界の本当の話というのを出しまししょうか。
ちょうど、宗教入門の話をしているが、やや仏教的な色彩が強い
、宗教日始めてぐらいの方にはいいのではないかと思っております。
映画「仏陀再誕」が10月から始まるということで、
宗教的仏教的な話を言って意識をそっちのほうに持っていこうかと
思っていくような話を言ってみようかと思っています。これを岩手、青森、
富山と最近3回ほどに分けて話をしていこうかと思います。
映画仏陀再誕の試写会、一般の向けのがなされていて、監督と挨拶を
しているところです。仏教的な話をしておこうかと考えています、今日は
この中で、ほんとうに入門的な話をしておこうかと。
この世とあの世の真実を知るということでまず、宗教に入って
くるときの壁となるところ。最初に飛び越えなければいけない箇所とは、
その部分の話をしたい、
かなり、自他意見を踏まえていることは感じておられると思うけど、
実際に私に霊体験が起きたのは1981年からですので、まあ、こう30年
近い28~9年たちますその間、現実問題としては、世間的に言うと、
幽霊というと、おお怖いという、鳥肌が立ついう話ですけど。あの世の
世界の存在は霊という存在と、話す、コンタクトしない日があったかなあ
と思うとこの28~9年、一日もなかった、ほぼ毎日、霊言見たいの
ばかりでなく、心に話してきたり、寝る前とか、いろいろなときにいつも
お話をしてて、不思議な生活、
この世的には、信じられないという人のほうが多い、表むきには
・・・裏では、知りませんりませんが、信じられない人は日本では
7割ぐらいともいるのでしょうが、30年、毎日のように霊人たちと
話をしてきた人間としましては、そういう質問は成り立たない。
ちょっといえば答えるという関係なんですよね、電話よりはやい。
電話は、番号押して。。。すぐにはかからないが、思っただけで、
即つうじる世界。以前はそうでもなかった。私も信じてはいたんですが、
実体験をしたか、しないかでは大きい、頭の中で信じているのと、
現実に体験で、霊的存在があってこちらに話しかけてきて、何か
お伝えようとして来てるって。何かを発信すると、それに
答えてくれようとしている、存在が現実にいて、私たちが生きてる
世界に何か意見を言いたがっている、
アドバイスや感想をもっている。別の面で言うと、四六時中あっている。
これに耐えられる人はそんなにいません。一般的に霊が生活にあんまり
入らないような仕組みは出来上がっている。

だから、家で、ご飯食べていて、亡くなったおじいちゃんがそこに
座っているなんてのに、気楽にすごせるかって言うとそんなに世の中
たくさんはいない、普通亡くなったおじちゃんというと、「うおお、何か悪い事を
したでしょうか?」となるのが普通、私になると平気で言えるんですけど、
まあ普通はあの世がわからない、見えない聞こえない。本当に神、仏が
いるなら、いい宗教とか、ある意味で、わかるようにすればいいじゃないか、
という考えもあるのですが。実際ずばりわかってしまうと、この世の学習に
支障が出ます。あの世の人にとっても、明確に干渉がはっきりわかると
なりますと、この世に対する執着ができますんで、逆に後ろで亀でもつつくように,
あっちいけって、押し付けるような感じで、いられなくなる。

この世の人の主体的判断が、責任を持った判断ができなくなるんで、
間接的に、インスピレーションを受けたりするがこの世の人が責任を
取るようにできている。この本にも出てるがあえて言うと、自動車
教習所で、運転してるのを、ジイッと見て、危ないときハンドル持ったり、
ブレーキ教官が隣に座って、というのがたまにあるが、それ以外は
本人に運転させている。自由に運転させていて、不合格とか
いってますが。本人の万一のときは危険防止でくる。古くいえば、
ギリシヤのソクラテスでも守護霊がいて、守護霊の声が聞こえていた、
ダイモンといって、不思議な守護霊で、こうしろ、とは言わない。
してはいけないということだけをいう守護霊、それ以外は好きにさせていた
という守護霊、象徴的ですが、あの世がこの世に介入できる程度が
どんなものか現しているとおもう。この世の人の生き方はやはり本人に
責任がある、やりたいという事はやっぱり、やらせなければいけない。

どうしても今言ったように教習所の教官がブレーキを踏んで
止めたりする、ことは滅多にはないんですけども、どうしても危険になった
ときには、そういうことがある、ソクラテスの最後のときも、毒にんじん、飲んで
死ぬときに、守護霊のダイモンが飲むなといわなかったと、
逃げろとも言わなかった。牢からも牢番、弟子とかが、先生を連れ出そうと
したことがあった。守護霊が逃げろといわなかった、毒にんじんをあおって
死んだんですね。その当時だけ見れば、そりゃ不条理に見えること
ですけどね、ちょっと不思議な感じ、牢番まで、見てみぬふりをして逃がそうと
してんのに死んでしまう。不条理ですが守護霊が言わないってことは
意味があると思って、死んだんですけども、

ソクラテスの死の意味っていうのは、だんだん重くなってきたとも言える
んですね、死後。その死、そのものが、当時の堕落したギリシャのアテネの、
民主制・・・すでに、堕落しかかっていたものですけれども、この批判に
なっていたと思うんですね、動かぬ証拠、として残りましたね。

当時28歳で40歳以上年下のプラトンというのが書き残しているんですが。
28歳のプラトンはソクラテスの死を、死の意味がどうしても
わからなくって考えて考えて、要するにこれは民主制ではなくて衆愚制に
転落しているんではないかというようなことで彼は哲人政治というか、
哲人による、理想政治を唱えた。

そして政治の建て直しが必要だってなことを、考えるようになった、
そういう有名な歴史的な事実もあります。宗教というんじゃなくても
哲学の根本は、そうした霊の声が聞こえた方ですね、ソクラテスから
始まっているということ、あらゆる新鋭な思想というのは大体天上界
から来た。啓示、インスピレーションを受けているものが多いということです

この本にも書いてありましが、あの世で不思議なことは、この世において
どうしてもたとえば、食欲など否定できないものですね、否定できないもので
どうしても、まあ、3度3度まではでないでしょうが、一日1度も食べないのは
さすがに耐えられませんよね。時間が着たらくる。
睡眠欲、寝ない実験。いくらやっても一睡もしないと言い張っても、
隠しカメラで撮っておいたらわからないです、
あと性欲とで3第欲ですがこの3第欲がなくて、生きていける世界に
住んでいる。過去の宗教修行者もした。
霊界にいったらなくなるものです。肉体生活おいては欲だけど
あの世に行って霊界に生活するためにいらなくなるもの。
それをこの世に体験してみましょうというのが、断食とか食べずに
我慢してみよう、寝ないで座禅するとか、異性の接触を避けるとか、、
l実際はあの世に言ったときの体験をこの世でして見ようというのが
大体修行に、よく出るテーマ。
あの世の生活をこの世で規制することによって少しでも霊的な状態に
なろうとの努力であったといってもいいかもしれない、
ただ今回30年近く霊的体験積んできましたけど、昔のキリストや
仏教が,言ってってきたことが、どこまで、ホンとか
うそか、実体験してきたんですが、何千年という歴史が、重なって
おりまして、その間に数多くの人がその解釈というか、たとえば
キリスト経で言えば、法王、仏教ならお坊さんが、歴代いっぱい
入ってきて自分の考えを入れてきたんで、間、必ずしも、ほんとの
正しい宗教が現代まで伝わっているかどうかはやや疑問があります、
伝言ゲームみたいなものです、10人も伝えたら結論が正反対に、
なってしまうということがあるということですね、特に、現代よりも、
記録を残すということ、があった時代でありますから、そういうことが、
あった。不思議なのはこの世にいる人にとって、
あの世の人の声が聞こえない、姿が見えないってのは不思議
なんですが、あの世の人は、死んだときには自分の声が、
この世の人に届かないというのが不思議なんです。

話はできているんですが、聞こえないんですよね、これはまことに
不思議なんです、家族に話しかけるんですが、交通事故とかで亡くなった
人とか。病気でも、突然亡くなったりした場合、まだ死んでると思って
いないので、家族に話しかけるですが無視されるという感じ、何でみんな
こんなに冷たいのかという感じで、お葬式とかやりますが、戒名とか
わからないですが、遺影で写真拝んでいたりすると、私の顔じゃないとか、
ここにいるのになぜ写真など飾ってあるというかんじなんです。
お坊さんきてお経上げた、戒名見たり、黒いの着てたり、
ほんとは仏教的にいうと、生物など食べれるはずないのに、
すし食べてビールを亡くなったのに酒も飲んでます、

人が死んだのに祝い事みたいに集まって、わいわい、がやがた
やってますがなんとなく正直言って、一部は葬式をやってるらしい
とわかるのだけど、頑固に、あの世とか、霊とか拒否する
「確信犯的、信じない人」は、幽霊か幻覚を見ている、お芝居を
してるんじゃとか、信じられない感じ。
仏陀再誕に書いてあるんですけども、自殺者の霊が、出てくるんですけど。
電車で飛び込む自殺した新聞記者というが、始まって・・、唯物新聞と
いうなんか怪しい新聞の名で、政治の誤報書いて、
自殺するんだけど、死んでも死に切れなくて、駅のホームで、徘徊して
いて、主人公を引きずり込もうとしてるシーンが冒頭にあるんですが
、この世的に立派に見えたり、活躍してても、真実を知らないと,
自分の死んだ跡の状況を客観的に、理解するころができない、あるいは
知ろうとしたことがない、あるいは人に言われての拒絶、そういう人は非常に
難しいんですよね。だから本当は、人生、何十年か生きている間に、
きっかけはいっぱい、あったんですが、いろんな宗教、
本、映画だってあった。キッカケはあってもどれがほんとか偽者
かわからないこともある、疑わしきは信ぜずで、自分の
仕事に役立つことのみ、あるいは、関心のあることのみに、
邁進してきた。そういう人にとっては、死んだあと、自分の存在を
理解できない、何で死んだのに生きているんだという答えがない
、聞きにいくとこがない、病院いっても教えてくれない、
家族もわからない。自分が善、悪なというものを、理解できることは、
りっぱな方、現代は進んでいますが、映像で
人生を見せられることが多い、映画みたいに2時間ぐらいかかる。
自分自身の人生をみせられることがあり。過去みたいなのがずっと
見える、だけど、視点が、自分が映像を見ているってことは、自分は
ここにいるってことで、別の目で見ている、このアングルは守護霊の
目で見た、自分の人生がこうなるという、ダイジェスト版を見せられる、
古い方は鏡を見たり、スェーデンボルグなどは手帳見たいのも出てくる、
日記帳見たいのが、ぽんと出る、自分で
メモしてたんで周りがのぞきこんでたりする。こうやって騙したのか、
、とか。今はスクリーン形が多い、昔は鏡。死んで見ることも多い
のですが、人によっては崖から落ちるとか、数秒の間に、

一生分のストーリーを見たというとか、多いですね、一瞬のうちに走馬灯
のように見るということがある、
フラッシュバックというんですが、反省させられますが、いやなもんです、
恥ずかしい、見せたくないもので、みんなに見せたいものは出てこない。
みんなの反応見ていて拍手が出るか、しらけるか、これから先の行くところが
わかってくる、今お彼岸が近いですが、敬老の日で、このごろ、盛んです、
春と秋に霊界との交流が盛んになる、
お盆とか彼岸とか、いったり来たりしやすい。前に聞いた話で、私の母の母が
お盆に来たことがある、
地獄の門が開くんだといっていました、責め愚にあってる人たちが
お盆のときに帰省するように、里に帰っていいんだと、門が開くんですって。
門番が休みを取るんでしょうかね。夏休みとるのがお盆のころとか
言っていました、初耳だった、夏休みとるわけだ。門番がいなくなるんだ、
春と秋のお彼岸のころは帰って気安い。、
お正月はまだ確認が取れていないんですが、働いてるのかどうか、
正月は日本神道系の光が強くなる。
神無月は神様が居なくなる時期ですが、どこかで研修してるんだと思いますが。。

皆様に知ってほしい、伝えてほしい事を、簡単に申し上げます、
本読んでください。講演も全部聞いてください・・たくさんありますし
、ってのじゃ不親切になります、

簡単に簡単に申し上げます、肉体に宿って生活しておりますけど、
全部じゃありませんよ、魂って昔から言うけど
死を境にして魂は肉体から去ります。肉体は焼かれ魂だけになります。
三途の川を渡ってこの世に生きてたことを
反省させられるようなことがあって行き場所が決まってきます
ほとんど、たましいはこの世に生きてる間はこの世の姿そっくりです、。
どういう生き方をしたか、死んでから
天国に行くか地獄に行くか決めます。どっちも行かず、この地に居付くか。

動物にも最低限ある、満足か不幸だったというのがいる、
ペットで幸福でしたという天国的のや、ダンプカーに
ひかれた狐とか、悔しいとこがある、狐狩りで撃たれたとか、いっぱい走ってきて
蛇なんかだって、無念や悔しいなど怒りの感じがあれば地獄的なんだなと。
動物でも感情の部分、喜怒哀楽で決まる、
恨みや、つらみ、怒り、いっぱいあれば地獄にいくこともある。

あの世がハッキリ分かったりしないのも、この世の生活に支障が
出るから、そういう仕組みになっている
宗教家や、霊能者とか出て、いつの時代も仕組み自体は教えるよ
うになっている、それも、各自の実践に負かされている。ただ、
目に見えないことを、信じることができるかどうか・・・、各自が
それを試されている。
存在を信じることができるかどうか。魂が向上してるか、
堕落してるかどうか。こういうことは最低限知っておいたほうがいいし
、あの世は神様仏様の存在や、天使、如来菩薩といわれる
尊い存在の人たちも居れば、普通の善良な人。善良でなかった人も居る。
または悪魔と呼ばれる悪魔という存在もいて



1000年以上地獄から出てこない人たちですが、はっきりいって
どういう存在かというと、元は人間なんですけど、生まれたこともある
人なんですけど、積極的に悪いことを考えて、悪さをした人です。人を
害するようなことをしたり。だから、戦争なんかでも、悪い心で大勢の
人を殺したりしたような人ですね。うらみは消えないから、そう簡単に
地獄から出てこれない。あるいは思想的に人を惑わして、迷わしたり
した人たちですね、これも、なかなか出てこれないですね。
だからそういう意味で、ある意味あの世はフェアですよ。あの世は
この世で実直に生きたし、正しく生きた、一生懸命生きたのに
報われなかったけど、うまい事やって成功したやつとか、この世では
いろいろありますけども、あの世の世界ではかなりフェアに判定が出て、
神様、仏様の作った世界というのは、決して人間の生き方を裏切るような
ことはありません。この世々で苦労したとか、損したとか、思ってるかも
しれないけどほんとにこの世で、楽して、うまい事いったと思っても、
それは正当でないときには、必ず反省させられるような事が、ある
という事ですよ。これが真実の世界観であって、宗派を問わず、
幸福の科学といわず。大体、東西を問わず、認められている考えに
近い考えです。この人生観を受け入れた人と、受け入れずに
生きた人とでは、人生のおおきな差は出てきますよ。

こういう人生観を持って、知った上で毎日毎日の生活または、
仕事の中に生かしている人は、日々が、学の場でありますけど
こんなもの信じるものか、と思っている人にとっては、
すべて偶然の連続だし、死後なんてそんな世界なんか、判らない
世界だから考えても仕方ないということになる、結局のとこ、
後で大きな、つけがまわって着ますよと、これについて、

30年近い経験から見て、疑う余地が、ないと・・疑う余地ありませんっ!!
各自が同じ経験を、生きている間することはできないので、そのために
宗教は、信仰が必要になってきた、証明ができるんだったら。
何度も証明ができるなら、(信仰などを再現実験)できるなら、
それらは信仰ではない。必要ないから事実になる。
信仰を宗教が要求する理由は、何人もおんなじ経験を、生きてるうち
にはできないけど、死んでからは、勿論するんですが、宗教者の言う事を、
受け入れるしかないと言う事、それが信仰の意味で騙そうとかいうのと、
違う。信仰を通さずして、その世界に跳躍して入ることはできない。
そういうことで、信仰をお勧めをしているわけです。入り口の話をしています。
岩手の地での説法としては、以上としておきたいと思います

桜咲久也 文責(解釈違いがあるかもしれません支部でお聞きください。
入り口のやさしい話のはずが、ほんとうは難しい事にも、聞こえました、
それは、信仰への入り口とは、素直に信じれるか、どうかなのですね)
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